カテゴリ:Note / Notiz( 3 )

 

忘れそうやからメモ

Code Switching
多言語話者(いわゆるバイリンガル、マルチリンガル)が、頭の中での使用言語を切り替えること。一度切り替わると、頭のなかで「考える」ために使う言葉、口のなかで話す言葉、夢のなかの言葉、そして態度・振る舞いまで同じ言語またはその言語文化のそれに統一される。幼児期にこの「切り替え」が時折うまくいかない場合があるが(母親にフランス語で話しかけられてドイツ語で答える、など)これを放置すると両方もしくは習得しうるすべての言語が「ブロークン」、つまり文法などが中途半端に終わる恐れがある。
→いつごろこのコードスイッチができあがるか?成人してから学ぶ外国語はこの原理を使えないのか?

「4つの言葉」
多言語話者が使用する言葉には4種類ある。
①家族言葉:家庭内や親類内で使う言葉
②兄弟姉妹言葉:自分の兄弟または姉妹とお互いに使う言葉
③遊び言葉:幼い頃に遊び相手と使った言葉
④環境言葉:自分が住んでいる国、地域で身につけた言葉

「強い言語」「弱い言語」
多言語話者の使用言語にはしばしば強いもの(優位言語)と、弱いもの(劣位言語)がある。例えば日本人とドイツ人を親にもつ子どもがドイツに育ち、日本語との接触が少ない場合、優位言語は環境言語であるドイツ語になると考えられる。

補助としての言語
多言語話者が「弱い言語」で話すとき、しばしば語彙の不足などから「強い言語」を補助として用いる場合がある。例えば抽象的な名詞がわからない場合、わからない言葉だけを「強い言葉」で表現する。「ドイツではみんながよく自分のAufforderung(要求)を口に出します。」
→外国語を学ぶときにも使えるか?



頭ってすごいなあ。
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by walkie-talkie | 2007-05-15 23:09 | Note / Notiz  

ヴァルドルフ学校講座

街にあるヴァルドルフ学校で公開講座があったんで久々に勉強熱心になって行きました。

はい、ヴァルドルフ学校てなんやねんって言う声が部屋中に響いたんで説明です。この学校はドイツで生まれた特別な制度を持つ私立学校です。日本ではシュタイナー学校の名前のほうがよく通ってるみたいです。特色は、、、

◇子どもは何事も身体で学ぶことが重要なので、従来の机に座って教科書開いての授業はほとんどなし。芸術的活動を伴い、体を使って覚える。

例えば、低学年ではアルファベットを覚えるために、自分の名前のつづりを踊って覚えます。あと、この学校に見学に行っている友達によると、なんと数学の時間でも歌を歌います。

こっからは今日の話。

なんでできたか。
①国立の学校システムが時代の変化とともに機能しなくなってきた。(3種類ある中高等学校は、本来職業別に沿って生徒は勉強できていたが、現在では大学志向が急激に増し、学校の種類は単なる成績別になってしまった。)
②非識字率の増加を食い止めるため(ドイツでは現在でも500万人の文盲の人がいる。学校ではこれは補われない。)

長所。
①国立の学校制度が小学校終了とともに3種類の学校に分かれるのに対し(この時期親は進学校のギムナジウムに入れるよう必死になる。)、ヴァルドルフ学校では一貫で教育ができる。
②アビトゥア(ギムナジウム卒業試験合格資格)も取得できる。
③学校の方針が明確なので、教師は全員協力して指導することができる。

この変わったヴァルドルフ教育学は簡潔に言うと自律心を育てるためのものだそうです。なんで、生徒は取りたくない授業はとらなくてもいいんです。で、そっから話は人間の成長過程になり、いろいろ続き、、(このへんわからんかったw) 読書の話になりました。「読む力」がこれからの教育に絶対に必要だということです。(講師のおじちゃん力む)周りに本がある環境に育った子どもは何かしら秀でたものを持つそうです。「見る」→「読む」→「理解する」→「書く」のプロセスが学習になくてはならないものなんですって。日本でもちょっと前そんなん言うてましたね。

さらにさらに話は続き、学校では「学ぶために学ぶ」教育をします。また本の話やけども、読んだ内容が自分の興味のものだったら、さらにさらにと違った本を探して学びたくなります。実際に授業では習うことをまとめた「教科書」はなく、図書館でひとつづつ調べるそうですわ。効率悪そうやなーて思ったけどこのほうが絶対身につくやろなって納得しました。こうやって自分で学ぶ姿勢を学校で学ぶと、自然に自律的な人間になるっていうまとめでした。

でも実際ドイツに来てみて、日本できいてたような「理想の学校」的な意見だけでなく、かなり手厳しい批判もかなり聞きます(例えば「自分の興味のあることしかせず、我慢や忍耐を知らず、社会的に外れた大人に育つ」など)。日本にも何校かこの学校はあるみたいやけど、実際に今の状況とそぐわないとこもあるんちゃうかなーて思ったりもします。そのへん実際に日本のヴァルドルフ学校に行ってみんとわからんけど、日本の公立学校に応用できるもんはけっこうあるなーて感じました。

もっとこんなんあったらまた行きたいわー。かじっただけやし。。まー今日は充実しとったかなあ。プチ模様替えもしたし。

シュタイナー教育(Wikipedia)
Waldorfschule (Wikipedia)
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by walkie-talkie | 2007-02-06 09:43 | Note / Notiz  

ウロコが目から

落ちました。2・3枚。

今日コミュニケーションの研究をしてる教授と話したこと。

英語やドイツ語は主文と副文があり、主文で伝えたいことを先に言って、あとからそのことを副文で説明する。
例:あの子が昨日みた子やねんて!
独)Es ist das Mädchen, das ich gestern gesehen hab!
英)Thst's the girl I saw yesterday!
てゆーふうに、文の構造をそのまま訳すと「あれがあの子、私が昨日見た!」て、あの子をうしろから説明してますね。

こんな感じの言葉やから、ドイツ人とかは先に結論を言って、あとから原因をもってくる話し方になるんです、それに比べて日本人は結論を最後に持ってくるからコミュニケーションがうまくいかない……???

教授が言ったこと。
「結論を先に持ってくる言い方をよく使うのは、それが効率がいいと教えられるからという理由もあります。そういった教育を受けた人はもちろんそれを好んで話しますが、ドイツ人でも長々と話して結局何が言いたいのかわからない人もたくさんいますよw 
今ドイツではそういった話しかたの違いが大きな摩擦になっています。ギムナジウムを出た人とそうでない人とでは話し方がかなり違い、お互いに話したがりません。大切なのは、コミュニケーションパターンはひとつではないということ。大学で結論を先に言ったら効率的だからそういうふうに話す、友達と話すときも常にそうかといったら違いますね。
異文化のコミュニケーション摩擦は、話し方の「流れ」が違うから起こります。留学に行った人はその「流れ」を習得できるので、留学に行かない人に比べて話し方は違います。帰国子女の人たちがよく大変な思いをするのはこの「流れ」が違うからです。」

ほんまやーーーーーー。今までコミュニケーションは言葉の構造によって変わると思ってたけど、よく考えたら教育で「伝え方」を教えるんだったらみんなそうなりますね。ドイツのギムナジウムではドイツ語(国語)の授業で、「客観文」「主張をするときの文」「何かを説明するときの文」など、言葉の「技術」について勉強するそうです。日本では「筆者の主張に合うものはどれか」「それを指すものを本文中からぬきだせ」はやるけど、どれだけ言葉の技術について習うやろうか?ほんでから英語の授業では、発音・文法・リーディング・並び替え問題・難関国公立大突破英語はするけどどれだけ「流れ」について教えてるんやろうか?

そんなんを考えた夜の8時でした。まじおなかすいたーー。パスタ作ろー
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by walkie-talkie | 2006-11-15 04:03 | Note / Notiz